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画家たちの心象風景を歩く⑩

祈りの先にあるものを描きたくて

————画家たちの心象風景を歩く  倉藤紀子さん

 

 フジギャラリー新宿では、インテリアにマッチしたアート作品をご紹介しています。抽象画も多く扱っていますが、お花や動物の絵、風景画ならば何となくわかっても、抽象画は、ただの線だったり、丸だったり、絵具を散らかしただけのように見えたりして、「分かるようで分からない」というのが、正直な感想ではないかと思います。

 そこで、完璧な左脳人間・原田が、アートを生み出す人々にインタビュー。今回は、色鮮やかな花をモチーフに創作を続ける倉藤紀子さんです。倉藤さんは海外のアート・フェアにも精力的に出品なさっています。

 

 

倉藤紀子さん

 

 

自然の中、どろんこの小学生

——— 今年は世界中のアート・フェアが軒並み中止になっていますね。

 本当にそうですね。

 

 

 ——— 倉藤さんは、いつもおっとりした語り口で、絵のイメージとご本人とがぴったり一致します。どんなお子さんでしたか?

 どろんこの小学生でした(笑)。

 

 

 ——— えー!意外です。 

  幼稚園と小学校は、東京都東久留米市の「自由学園」でした。初等部(小学校)は、1学年1クラス40人程度しかいない。敷地が広くて自然がいっぱいで、たくさん遊んでいました。

  自由学園は日本女性初のジャーナリスト、羽仁もと子さんが設立した学校で、もともとは池袋にありました。「帝国ホテル」で有名なフランク・ロイド・ライト設計による「自由学園明日館(みょうにちかん)」で知られています。東久留米にある学園の校舎も、ライトの弟子である遠藤進らが設計しており、有機的な建築物の中でのびのび学んでいました。

 

 

 ——— 自由学園ではどんな生活ですか?

 暮らしを丁寧にしたような教育でした。

 毎朝礼拝があり、毎日の昼食は、生徒全員が食堂でいただきます。食事の後には、生徒による演奏がはじまったり、美術作品のお話もとても印象に残っています。当時はあまりよくわかりませんでしたが、日本画の大家の先生や、大変な洋画家の先生がたが指導に来てくださっていたようです。

 

 

(左・右)流れ-ワルツオブフラワーズ- 油彩・キャンバス 230×230mm

 

 

ピアニスト志望から大転換

——— なるほど。お茶の時間に専門家の批評と、全部本物志向なんですね。絵に開眼したのはその頃ですか?

 いえ。実は、その当時は、ピアノに夢中でした。音大に進学したかったので、小学校5年生ぐらいからは、3人の先生にご指導いただいていました。自由学園は、中等部になると、寮生活も学びの一つだったので、中学校は地元の公立に進学しました。

 

 

 ——— ピアノ、というのは倉藤さんらしいです。しかし急に公立だと、ギャップがあったのでは?

 小学校は自由学園で1学年1クラス40人程度、中学校は公立で1学年6クラス。とにかくとても人が多いのに目をまわしていました。

 折角、新しい生活が始まったのですが、体調を崩し、休みが多くて、ピアノどころではなくなってしまいました。

 

 

 ——— それは大変でしたね。高校に入ってからは?

 絵画が好きでしたので、美大に行きたいと思い始めて、高校2年生からお茶ノ水の美術予備校に通いました。

 

 ——— どれくらいの頻度で?

 毎日です。楽しかったから。美大進学といっても、彫刻やデザインなど、それぞれやりたいことがある人たちが集まっていますから、色々な人に出会えました。最初から油絵、と思っていました。

 

 

 ——— そして受けた美大は。

 女子美、武蔵野美、芸大です。女子美大を受けた時は、なんと水ぼうそうにかかっていて、大学に「水ぼうそうにかかっているのですが、受けられますか」と電話で問い合わせ、「どれぐらいのブツブツですか?」と聞かれたので、当日事務所まで見せに行ったら「まあ良いでしょう」ということで試験を受けさせていただいたんです。そんなこともありましたが、無事合格をいただき、進学しました。

 

 

流れ-ワルツオブフラワーズ- 油彩・キャンバス 600×910㎜

 

 

インドで見た「祈り」に感動

——— どんな制作活動をしていましたか?

 具象画ばかり描いていたのですが、大きな転機となったのは、この学生時代に、友人に誘われて、初めての海外旅行でインドに行ったことです。

 

 

 ——— 倉藤さんがインド。

  これは、本当に感動しました。5都市を周り、色々な経験をしました。現地で体調を崩して、その町のお医者にかかったこともありました。ガンジス川が流れる聖地・バラナシを訪れたとき、沐浴する人々の姿を描きたいと思って、写真をたくさん撮っていたのですが、描いて暫くして、だんだん興味の対象が、祈る人ではなく祈りそのもの、信仰の先のものになってきたのです。「流れ」というテーマの抽象画の制作はその頃からです。元気になれる、優しくなれる、人を後押しできるような絵が描きたいと思うようになりました。

 

 

 ——— 公募展には?

 学生時代の1994年から「モダンアート協会」に20年ほど毎年出品させていただきました。モダンアート協会は、抽象作家が多く在籍している団体展で、初めて入選した時は、本当に嬉しかったのですが、画家としての道のりは厳しく、大学院修了後は「どうしよう」というのが本音でした。当時も大変な不景気でしたから。

 

 

 ——— では、ほかにお仕事を?

 はい。医学系研究所で長く働いていました。臨床と研究の研究室で忙しいところでしたが、鮮やかな色彩の細胞画像が身近にあったことは、制作に影響を与えていたかもしれません。

 それ以降は、銀座で絵画講師をさせていただこともあり、現在も前出の「明日館」でアートレッスンを主宰しています。中には20年近いお付き合い方もいらっしゃいます。

 

 

 ——— 海外進出のきっかけは?

 アート講師をしていた2006年に、日本人作家の先輩から、ロシアのサンクト・ペテルブルグで行われる展覧会に誘っていただいたことでした。

 

 

 ——— ロシア。遠いですね。

 そう、ロシア。

 その時に紹介していただいたロシアのギャラリストから度々連絡をいただいていて、最初はなかなか踏み出せなかったのですが、2010年にマイアミのアートフェアに作品を出していただき、現在もお世話になっています。

 その前の年、他のギャラリーからアジア圏のアートフェアに出していただいていましたが、ヨーロッパやアメリカに作品を持って行きたかったので、私にとっては大きなチャンスでした。

 

 

 

London Art Fair / G-77 Gallery / Business Design Centre / London,England / 2019

 

 

世界の現代アートが集まるアートフェアとは

——— アート・フェアについて教えていただけますか?

 スイスのバーゼルという都市は、フランス、ドイツがとても近く、昔から交易が盛んで、みなさんもご存知のように、腕時計やハイジュエリーなどの見本市が開かれています。そのひとつが、世界最大の「美術」の見本市である、「アート・バーゼル」です。これが、現在世界各地で開かれるアートフェアのはじまりと聞いています。アート・バーゼルという名前を冠して、アメリカのマイアミ、香港でもフェアが行われています。

 

 バーゼルは人口17万人の比較的小さな街なのですが、アートフェアの時期は世界各地からアートを求める人でいっぱいになります。

 

 アート・バーゼルの本会場は、世界から名だたるギャラリーが参加していて、モディリアニやモネなど、美術館でしか見たことのないような作家の作品にも出会えます。また、本会場の周囲でも、たくさんのサテライト・フェアが開かれ、新しいアーティストに出会う絶好の場でもあります。

 

 

Solo Exhibition ‘Nagare’  / Gallery Karin Sutter / Basel,Switzerland / 2012-2013 

 

 

初のバーゼル 初日に大作が

——— やはり売れますか?

 どうでしょうか(笑)。波がありますが、初めてのバーゼル初日のオープニングパーティで、3mの作品を持ってくださるというお話をいただいた時、驚きました。アーティストとして、とても勇気付けられました。

 あちらの方は、アートを購入することについて、新しいお洋服を探したり、車を持つようなことと同じ感覚でお選びのようでした。

 

 

 ——— フェアの期間中、作家はどうしているのですか?

 作家の仕事は描くことですが、最近は、会場に居させてもらうことがあります。作品を見てくださる人と出会うのが好きなので。でも、私が会場にいてもいなくても、作品が一人歩きするんですね。ギャラリストのお陰でもあるんですが。

 

 

——— 年間どれぐらい、海外に出られているのですか?

 今年は新型コロナで難しいですが、アートフェアに関しては、昨年は5回、ブリュッセル、ロンドン2回、サンフランシスコ、シアトルのアートフェアに、出品させていただきました。

 

 

倉藤紀子展  ‘ Spring Obsession’  / G-77 Gallery / 京都 / 2018   Photo by Kita Yoshiaki  

 

 

——— 日本ではどんなところにおさめられましたか?

 例えば、銀座の「女性ライフクリニック」の院長である、産婦人科医 対馬ルリ子先生とのご縁をいただいて、クリニック受付や、色々な壁に飾っていただいています。162㎝角の大作が設置されている場所は、出産後「初めての家族写真」を撮る空間でした。家族をつなぐ「命の流れ」の時間に、作品がそっと在ることは、本当に光栄なことでした。今後も、人の様々な場面に寄り添う絵画を制作していきたいと思っています。

 

 

 

インタビュー後記 ————————————

 

いつもおっとりした語り口で、しかしアグレッシブに海外に活路を見出している倉藤さん。冒頭でご紹介したような小さな作品は、もしかしたらお守りになるかもしれません。今後フジギャラリー新宿でも積極的にご紹介していきたいと思っております。

(原田愛)

 

フジギャラリー新宿では、クライアントのアート選びをサポートいたします。
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