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抽象画を「見る」のは才能か? ——— 早川 剛展「熱い静寂」に寄せて

 フジギャラリー新宿の原田でございます。

 ギャラリーでは力強い筆致が特徴の日本画・抽象作家の早川 剛による個展が先日閉幕しました。作品はギャラリーで保管しておりますので、もし気になる作品がありましたらぜひご予約ください。岩絵具による抽象表現にひたりながら、思うあれこれを書いてみました。

 

 

早川剛 / Gou Hayakawa

作家インタビュー

 

1976年 埼玉県草加市出身

2000年 武蔵野美術学園日本画科卒業

 

展示

2020年  コロナの時代展(フジギャラリー新宿/新宿)

      渺渺展 小品展(東急百貨店たまプラーザ店4階アートサロン/横浜)

2019年  当代日本岩彩画作品展(石家荘市美術館・河北美術学院/中国 河北省)

      渺渺展(東京銀座画廊/銀座)

2018年  日中平和友好条約締結40周年記念展 日中芸術展「一衣帯水」(雲間美術館/上海)

      一衣帯水 2018日中芸術展(日中友好会館美術館/飯田橋)

      個展(フジギャラリー新宿 /新宿)

2017年  秀美展(あべのハルカス近鉄本店 ウイング館8階 アート館/大阪)

      渺渺展(東京銀座画廊/銀座)

      個展(ギャルリーパリ/横浜)

その他多数展示

 

収蔵、寄託

雲間美術館:上海環球金融中心(上海ワールドフィナンシャルセンター)29階

石家荘市美術館:中国 石家荘市

河北美術学院:中国

実叶エンタープライズ株式会社:神奈川県横浜市

 

制作依頼

2013年 小説「士道残照 - 幕末京都守護職始末」(中央公論新社発行、藤本ひとみ著)装画制作

2005年 映画「同じ月を見ている」(監督:深作健太、主演:窪塚洋介)絵画制作

 

 

◆抽象表現に違和感を感じない素地とは

 フジギャラリー新宿では、抽象画をメインにご紹介しています。しかし「抽象ってわからない。苦手」と思われている、ということを、ギャラリーの仕事に携わるようになって思い出しました。

 

 以前私が勤務していた新聞社も、いろんな美術展をやっていましたが、ほぼ具象画です。

 

 しかし、私個人は、どちらにせよ抵抗がありません。目の前に置かれた作品が抽象か具象かの判断をいちいちしていません。これはどうやら子供の頃の体験によるところが大きいようです。

 

◆原体験は「エキスポランド」

 私は大阪出身です。子ども時代の多くを北摂地域に長く住んだので、遊園地といえば今はなき「エキスポランド」(吹田市)でした。

 

 エキスポランドは、ご存知、1970年の大阪万博跡地に誕生し、隣接する万博公園にそびえる岡本太郎の「太陽の塔」が有名です。

 

 エキスポランドは、最新絶叫系マシンが多く取り揃う、本格遊園地でしたので、何かと理由をつけては家族で、あるいは友人と、あるいはデートで、訪れていました。

 

 

 言わずと知れた「太陽の塔」。非常に大きいので、目に入らないわけがなく、子ども心に、「この塔の顔はどこなんや」と思ってました。

 太陽の塔には、表から見ただけでも顔が3つ(私は2つだと思っていますが)。裏にも1つ、顔面があります。

 左右に出ているものが腕だとすると、お腹の「顔」は何なのか。お腹の顔が顔だとすると、上の顔は何になるのか。見つめるたびに、「モヤっと」していました。

 

万博記念公園HPより

 

 

 でも不思議と、それを親や周囲の大人に問うた記憶はありません。「聞いても仕方がないこと」というのは、どこかで理解していた気がします。

 

 また、あまりネット上に写真が残っていないのですが、エキスポランドには、岡本太郎が作ったと思われる「何か」がいたるところに置いてありました。上の写真でいう「雲の鯉のぼり」みたいなものですね。

 

 これも謎でした。

 「太陽の塔」は、びっくりするほど大きいから、大人が何かを思って作った大きなものだから、何か意味があるのに違いないと思っていましたが、電柱ぐらいの高さの、こういったオブジェがあちこちにあるのです。どこかの方向を示しているのかというとそうでもない。意味はまったくない。ちっとも役に立っていない。そして、支離滅裂にバリエーションがあって、何かのマークかというとそうでもない。

 

 それが「オブジェ」と呼ばれる「役に立たなくていいもの」であると認識したのは、小学校高学年のころでした。見るたびに考えずにはいられない「その物体の意味」が、ハッと分かったのです。あれは、今でも思い出す衝撃です。

 ただある。それだけでいいものなのだと。その物体たちを「辻褄を合わせよう」として見ることを、やめることができました。

 

 その時、「抽象アートを見る」目が、私の中でヒョッコリと芽を出した気がします。

 

◆抽象慣れは、先天性か後天性か

 そんな瞬間が幼い時に訪れたことを、ただ今は幸運だったと思っています。

 

 ジェットコースターに恋い焦がれていながら、本物のアートに囲まれていたのです。これがどれほど贅沢なことか。意味がなくても存在だけでいいとされるものがあるということが、どれほど人生を豊かにしたか。「役に立たない人間でも、存在してもいいに決まっている」というような、マインドセッティングができた気がします。

 

 この「抽象を許容する目」というのは、割と幼い時期の「後天性のもの」だとする説が有力です。音楽がわかりやすい例えなのですが、洋楽(フランス語やポルトガル語も含む)をなんとなく音で楽しめるのは、歌詞がわからないのに言語の雰囲気も含め楽しむことができるということで、思春期のごろに触れていないと難しい。西洋のクラシック音楽もまたしかりで、ある程度聴き慣れないと退屈です。

 

 抽象アートにこれといって触れる機会がなかった私にとって、この目を特別のハレの場(エキスポランドの日は、いつだって指折りのハレの日でした)で養えたのは、非常に幸せなことでした。

 

 みなさんは、抽象アートはお好きですか?

 

 私見ですが、抽象画は、形にとらわれることなく、作家の意思をすら超えて、見る者が好きなように解釈できます。だからこそ、いろんな人が集う場にあしらいやすく、普遍的な価値を持ちやすいという側面もあるのではないかなと。

 

 そんな抽象アート、お店に、オフィスに、ご自宅に。

 フジギャラリー新宿でお探しください。

 

 

フジギャラリー新宿では、お客様のアート選びをサポートいたします。
お気軽にinfo@fuji-gs.jpまでお問い合わせください。