【1】さまざまなアーティスト

 成田空港をフィンエアーで飛び立ち15時間。ヘルシンキを経由し、ブダペストのリスト・フェレンツ国際空港に降り立ったのは、現地時間の午後8時だった。ハンガリーが生んだ天才作曲家フランツ・リストの名を冠した空港だ。630日。東京では「夜」だが、当地では昼のように明るいことに衝撃を受けた。最高気温は35度。意外な暑さだ。しかし湿気がないため、日陰に入ればひんやりとしている。

 

 

(左)ブダペストに到着。夜8時でもこの明るさ。

(中央)中央ヨーロッパに位置するハンガリー。

(右)レジデンス先のザラエゲルセグまで、ブダペストから高速バスで3時間かかった。

 

「アーティスト・イン・レジデンス」。

アート業界で「レジデンス」と呼ばれるこの制度を具体的に検討しはじめたのは2018年12月だった。アーティストの実績として挙げられるものに公募展入選や個展などがあるが、「レジデンス」もまた、それに近い存在だ。国立大の工学部を卒業し、機械設計の会社で働いた後にアート専門学校に行くという異色の経歴である自分にとって、画歴スタートは遅いと言えた。東京デザイン専門学校在学中から、常にほかの仕事と並行して作品づくりをする生活からすれば、異国の地でアートに没頭できる「レジデンス」は夢のように魅力的だったし、何より楽しそうだった。「自分もそろそろ」と、思いついたのだった。

 

とはいえ、世界各国で催されている「レジデンス」は、支援体制の充実度や、都市の人気度により、競争率、つまり難易度が異なる。ロンドンやニューヨークといった有名どころをはじめ、エストニア、ラトビアなどにも応募した。これまで制作した作品の写真やポートフォリオを添えてエントリーしたが、なかなか芳しい結果は届かなかった。ポートフォリオというのは、これまでの略歴や展示の経歴、作品の説明を書いたもののこと。こういった履歴書に加えて、応募したレジデンスで何をしたいかもフォームに記入した。

 

「We regret to inform you that you have not been selected…」という「お祈り」メールを10通も受け取っただろうか。5月のある日、ネットでエントリーしたザラエゲルセグの合格通知が、なんと翌朝に届いた。忘れもしない5月13日。

「ここだったらいけるかも」

そう思ってのエントリーではあったが、やはり、ガッツポーズをした。

 

レジデンスは、当初2週間の予定だったが、希望者の一人がキャンセルしたため、1ヶ月となった。

 

ザラエゲルセグでは、アトリエ兼住居が、1ヶ月800ユーロで貸し出される。安価とはいえ、航空券・渡航保険と、一ヶ月のアルバイト代を考えると、それなりの出費が必要だったが、迷う暇はなかった。90リットルの大型スーツケースを買い込み、絵筆を10本ほどと、普段なかなか読む時間が取れない人類学や電子工学の本を詰め込んだ。ただ、絵の具は持って行かなかった。現地で、行った先のものを使いたいと考えていたからだった。

 

ザラエゲルセグに向かうバスの車窓から。緑が多く、物価も安いので国外からバケーションに訪れる人も多いとのこと。

 

ブダペストから長距離バスで西へ3時間。見渡すかぎりのトウモロコシ畑、小麦畑、ひまわり畑を抜け、午後6時にザラエゲルセグに到着した。同じバスには、同じレジデント作家であるミランダが乗っていたらしかった。バスターミナルには、主催者のガブロさんと、作家でありレジデントの世話役であるカーチャが迎えに来ていた。ガブロさんは、小柄な白髪の紳士で、やさしげな笑顔をたたえ歓迎してくれた。車で20分ほど走ったところでレジデンス先の家に到着した。

  

 

1か月過ごしたアトリエ兼住宅

 

「ああ、めちゃくちゃすてき」。

 

滞在先のアトリエ兼住宅は西洋の田舎風の三角屋根の二階建て。白壁とレンガづくりの煙突が見えた。庭は、手入れをしているようにも見えなかったが、自然のままの美を感じさせた。

 

一緒に1ヶ月過ごすことになったのは、演劇の脚本を書き、現地の学生らと舞台を作るプロジェクトを担うミランダ(アメリカ出身)。30歳で、両親はドイツでアートギャラリーを経営しているそうだ。もう一人はプエルトリコ出身でナポリに実家があるという24歳のレッチ。仮面を作るアーティストで、アフリカの伝統デザインをモダンにアレンジしている。

 

 

世話役のカーチャも加え、男子1人、女子3人の、アートな生活が始まった。

(構成・原田愛)

 

いたがき・しん
1990年、山形県生まれ。2012年、茨城大学工学部機械工学科卒業後、モーター部品製造機械の設計会社に就職。2014年2月に退社。東京デザイン専門学校(3年制)に入学、2017年卒業。私立高の理科助手や出版社勤務などを経て、2018年3月フジギャラリー新宿に。接客などの傍ら、新宿や渋谷の街などをモチーフに油彩画に取り組む。